映画『エゴイスト』龍太の死因とは?母親との関係とラストの真相を解説

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映画『エゴイスト』を観た多くの人が、エンドロール後も動けず、じっとスクリーンの余韻に包まれていたことでしょう。特に、宮沢氷魚さん演じる龍太が突然この世を去るシーン、そして鈴木亮平さん演じる浩輔の静かな涙には、多くの人が心を掴まれました。

「龍太はなぜ死んだの?」「あの気まずさはなに?」「母親の微笑みの意味は?」本記事では、そんな読後感のモヤモヤや疑問に丁寧に寄り添いながら、『エゴイスト』のラストに込められた意味を紐解いていきます。

もくじ

映画『エゴイスト』とは?

▶︎作品の基本情報と原作紹介

『エゴイスト』は、LGBTQ+を描いた日本映画として2023年に公開されました。原作はエッセイスト・高山真による同名の私小説。主人公はゲイであることを公表しているファッション編集者・浩輔。彼がパーソナルトレーナーの龍太と恋に落ちることで、はじめて「誰かと生きる」という希望を知ります。

この作品は「マイノリティの恋愛」という枠を超えて、「誰かを本気で愛するとはどういうことか」「失うとはどういうことか」に迫る、極めて普遍的な人間ドラマ。LGBTQ+を知らない人にも、“大切な人を思い出させる映画”として、多くの共感を集めました。

演出は派手さを排除した繊細なトーン。松永大司監督による丁寧な視線が光り、日常の中にある感情の“揺れ”をすくい取っています。

▶︎配信情報:
U-NEXT、Amazon Prime Videoなどで視聴可能。

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龍太の死因とは?【ネタバレあり】

▶︎映画で描かれる死因の詳細

龍太の死はあまりにも唐突です。トレーニング中に、疲れたようにベンチに座ったまま、静かにそのまま亡くなってしまいます。原因は心不全——映画内では詳細な医療的説明はありません。まるで、“突然すべてが止まってしまった”かのような、呆気ない終わり方。

重要なのは、“死の演出に音がない”こと。心拍音も、BGMも、涙の演技すらない。ただ、彼が静かに崩れるだけ。それが逆に観客の心を突き刺します。「なぜこんなに悲しいのか?」と問いたくなるほど、シンプルな演出が感情を増幅させているのです。

▶︎原作との違い

高山真による原作では、龍太に相当する人物の体調不良や病的なサインが前もって描かれており、「死」がじわじわと近づいてくる怖さがあります。映画では、そうした“予兆”をカット。理由は明確で、「失うとは、いつも突然やってくる」ことを強調するためです。

これにより、浩輔の喪失感が観客にもダイレクトに伝わり、より感情移入しやすくなっています。

龍太の母親との関係

龍太の母親との関係
出典 IMDb

▶︎母親の描かれ方

阿川佐和子が演じる龍太の母は、一見するととても優しく、息子の交友関係にも理解があるように見えます。浩輔が家に来ても穏やかに迎え入れ、一緒に料理をしたり、会話を楽しんだりもする。

しかし、その笑顔の裏にある“母としての複雑な感情”は、観客に何とも言えない緊張感を与えます。

「本当に理解しているのか?」「ただ息子が幸せそうだから黙っているのか?」——その微妙な温度感が、“母親”という存在がいかに社会的価値観と向き合っているかを象徴しています。

▶︎視点を変えると見えてくる葛藤

彼女は決して敵ではありません。だからこそ、浩輔にとっても“恨めない存在”なのです。しかし、龍太の死後、母と浩輔が向き合う場面では、かすかに通じ合っていながら、決して“家族”にはなれない距離が描かれます。

それは“血のつながり”がもつ重さ、そして「息子の恋人」としての浩輔の立場の曖昧さを象徴しています。

“受けどっち”論争とは?

“受けどっち”論争とは?
出典 IMDb

▶︎観客の想像をかき立てた二人の関係性

SNSでは「エゴイスト 受けどっち」という話題も浮上しました。これは、ゲイカップルのどちらが“受け”=受動的な立場であったか、という俗に言うBL的な視点です。

龍太は年下でやや天然、しかし一方で浩輔は心に傷を抱える繊細なキャラクター。どちらが“支える側”で、どちらが“支えられる側”なのか。観る人によって印象が異なるのも、この映画の魅力の一つです。

▶︎あえて描かないことで広がる解釈

セックスシーンは登場するものの、明確な描写や言及は避けられています。そのことで、二人の関係性はより“普遍的な愛”として成立しており、特定のラベルを貼ることが無意味だと感じさせられます。

監督の意図は明確です。「どちらが“上”か“下”か」ではなく、「どれだけ深く愛し合ったか」がすべてだと、観客に委ねているのです。

ラストシーンの解釈と考察

エゴイスト ラストシーンの解釈と考察

▶︎なぜ“気まずい”と感じるのか

浩輔が龍太の実家を訪ね、母と料理をする場面。お互いに気遣うように微笑むそのシーンには、“言葉にできない感情”が詰まっています。

視聴者はそこで「この空気、なんとも言えないな…」と“気まずさ”を感じます。これは、恋人としての浩輔が、“家族としての居場所”を持たない現実が浮き彫りになる瞬間だからです。

愛する人の死に、どう向き合うか?
その遺族と、どう向き合えばよいのか?
正解のない問いの中で、浩輔は“そっと寄り添うこと”しかできない。その切なさこそが、このラストの“静かな重み”を生み出しています。

▶︎“本当にやってるの?”という演出力

SNSでは「演技じゃないと思った」「本当にやってた?」という声も見かけます。しかし実際は、極めて高い演技力と、演出の細やかさがそう感じさせているだけです。

2人のベッドシーンは、官能的というより“信頼”と“安心”の描写。そこに「本物らしさ」が宿っており、それが視聴者の胸を打ちます。

(まとめ)映画『エゴイスト』龍太の死因について

  • 龍太の死は**理不尽な突然死(心不全)**として描かれ、観る者に喪失の衝撃を与える。
  • 龍太の母は受容と葛藤の間で揺れ動き、観客の心をざわつかせる存在。
  • “受けどっち”というテーマを超えて、「愛することとは何か」を考えさせる。
  • ラストの“気まずさ”は、言葉では語れない愛と孤独の静かな表現。

『エゴイスト』は、多くの“痛み”を抱える人にこそ観てほしい映画です。
誰かを失ったことのあるあなたなら、きっとこの作品に、静かな希望を見出せるはずです。

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